中山城

別名-  付近住所 京都府舞鶴市中山 現在-
2009/5/4 碑・案内板アリ 日本城郭大系


一色義道
沼田清延
中世の山城である、丹後の国守一色左京大夫義道の居城とされる。後に沼田幸兵衛清延が城主となる。標高60メートル、城郭の巾20メートル、延長500メートル東側は腰を没する深田、西側は険峻な急坂に竪堀、北側には大規模な空堀2ヶ所を設け、更に川を廻らす。南は建部本城に通じる地形は守るに有利な堅城であった。
本城にいた一色義道は織田信長の命によって攻めてきた細川・明智勢に戦い破れ中山城に入り再起を計った。
天正7年(1579)9月20日、細川・明智勢2千4百余騎をもって攻めたてたが落ちることはなかった。城代沼田幸兵衛の変心によって城に火をかけ総くずれとなり義道主従38騎、この下の由良川畔で自刃したと伝える。9月24日であった。